2022-03-17 イリナ・グリゴレさんのコラム、地震への対応能力
パジャマでしかピカソは描けない|イリナ・グリゴレ
いつも2箇所くらいは、じいんと足が痺れて立ち止まってしまうような部分がある。
さて、昨年父がルーマニアから送ってくれたワインを開けてびっくりした。いつもの濃い血の色ではなくて、ロゼだった。味見すると祖父が生きかえったと思わせるぐらい祖父の味にそっくりのワインだった。あまりにもびっくりしたから電話した。テレビ電話で見た父の顔は髭が入っている優しいお爺ちゃんの顔だった。私が知っていた、働いていた工場の同僚と一緒にジプシーの音楽家がいるバーで朝まで飲んで夜遊びする父とは大違い。(略)ワインの味まで優しくなって、娘にとっての祖父のイメージは私が見た父と違うと分かった。(略)プライドの高いルーマニア人の男、背が高くて、頭もよく、女性にもてていた父。社会主義時代に生まれ、地方の街の工場でエンジニアになってポスト社会主義の曖昧な時代を生きてきた。アルコール中毒になった。若い時、心筋梗塞を乗り越えて、年をとってからも重い病気と戦い、私は娘の祖父になってありがとうと言いたくなった。今作っているワインの味で自分の父の心が初めて分かった気がした。遠く離れていても、私の娘の優しい祖父になってくれて、改めて彼の全てを許した気がした。ヤギのお世話をしている金髪の少年のイメージが浮かんで、父を自分の子供のように愛し始めた。
何年かがたって、作るのも食べるのも得意となった和食だが、2年半以上のコロナのせいでルーマニアに帰れなかったからなのか、薬の副作用なのか、全く食べられなくなった。自分はなんのため食べるのか分からなくなった。食べ物に支配されると感じるようになって、作るのも食べるのも嫌になった。
その翌朝に寝坊していた私のところに突然に来たその男の子に「お腹空いた」と言われた。私は夢かと思った。友達がお泊まりしていることさえ忘れてしまい、なぜ私のベッドの近くに男の子がいるのかも理解せず、目が覚めた。その瞬間に食べ物の恐怖から解放された。そうだった、人間は「お腹が空いているから」食べるのだと思い出した。
男の子はゆっくりトーストにバターを塗って、溶けるまで少し待って美味しそうに食べた。カリカリという音が聞こえた、噛むたびに。おかわりした。またゆっくり、儀礼のような動きでバターを塗ってまたカリカリ食べた。美味しいと評価した。
彼の食べっぷりは儀礼そのものだった。娘たちも同じ食べ方をする。なるほど、子供は分かっている。元々食べることは儀礼の行動だったのだ。狩された獣の見える肉だけではなく、見えない魂までもらうので、それはしっかりした踊りと動きで、感謝しないといけないと昔の人々は知っていたのだ。だが現在、このような行動は失われている。衣装も面もない。音楽も歌もないので、現代人にとって食べ物の味は昔の人が感じた味と違うだろう。でも、子供はまだ分かっているはずだ。お腹が空いている時しか食べないから。そしてたまに踊りながら食べるのだ。
私のそばを通り過ぎていってしまった「受け継ぐ」というようなことや、私自信も積極的には積んでこなかったように感じている時代のようなこと、もちろんここにある東欧の空気への憧憬もあろうけれど、イリナ・グリゴレさんの、かすかな震えや、一瞬さしこんだ光を見逃さず手に包み込んでおくようなところ。
アゴタ・クリストフのように描写はきっぱりとしている。こころの襞のようなものを細かく描き出してはいるのだけれど、べたべたと寄りかからない。もしかしたらこれは、母国語ではない言葉で書かれているということが関係しているのだろうか。わからない。 -
一昨日に引き続いて今日も大きな地震があった。またも東北。
でも驚くのは、こんなに大きな地震のあとにも関わらず、一昨日などは半日、今日などは10分もすればタイムラインの話題は日常に戻ってゆく。あの規模の地震にこんなに慣れ、備えられた国というのは他にはなかろう。
とはいえ少なくない被害が出ているようだし、特に寒い時期の寒い地方での罹災は11年前のこともよぎり不安だろうと胸が落ち着かない。家のどこかがきしめば身構えたあの年のことを思い出す。
きっとこのタイムラインの後ろには、そんなさまざまな思いがひろがっているのだ。